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なぜ今、『昇給』の考え方を見直す必要があるのか ― AI・給与レンジ公開時代の給与の決め方

秋になると、企業のHR担当者や経営者からよく聞かれる質問があります。

「来年は、何%くらい昇給させればよいのでしょうか?」

翌年度のSalary Budgetを考えるうえで、市場の平均値を確認することは重要です。2027年については、米国企業のSalary Increase Budgetはおおむね3%台半ばで予測されています。WorldatWorkでは平均3.6%、WTWでは3.4%などの予測が出ています。

では、「2027年は社員の給与を3.5%くらい上げればよい」ということなのでしょうか。

実際の給与決定は、それほど単純ではありません。いま企業に求められているのは、「今年は何%上げるか」から、「誰の給与を、なぜ、どの程度調整するのか」へと考え方を変えることです。

そして、その背景には、給与を取り巻く環境そのものの変化があります。

従業員自身が「自分の給与」を調べる時代になった

以前は、自分の給与が市場に対して高いのか、低いのかを従業員自身が調べることは、決して簡単ではありませんでした。

しかし現在では、求人サイト、給与情報サイト、LinkedIn、公開されたJob Postingなどから、多くの給与情報を入手できます。さらに大きな変化をもたらしているのが生成AIです。

OpenAIが2026年3月に公表した調査によると、米国では、賃金・報酬・収入についてChatGPTに送られるメッセージが1日平均約300万件に上ります。

つまり、「自分の仕事なら、本来いくらくらいもらえるのか?」をAIに尋ねることは、すでに珍しい行動ではありません。

これまで複数のWebサイトを探して比較しなければならなかった情報も、「ニューヨークでこの仕事をしていて、経験7年なら給与はいくらくらい?」と尋ねれば、数秒で一定の回答が返ってきます。

給与情報は、もはや会社だけが持っているものではありません。

ただし、「給与データを持っている」ことと「正しい」ことは別

ここで注意しなければならないことがあります。給与情報を簡単に入手できることと、その情報を正しく解釈できることは別問題です。

実際の職場でも、「インターネットで調べたら、このManagerは$150,000もらえるはずです」「AIに聞いたら、自分の給与は市場より低いと言われました」といった形で、従業員自身が給与データを持ってくる場面は今後さらに増えていくでしょう。

しかし、その数字を詳しく確認すると、Job Titleは似ていてもResponsibilitiesが違う、People ManagerとIndividual Contributorが混在している、担当するBusiness SizeやJob Levelが違う、Industryが違う、Geographyが違う、といったことが珍しくありません。

Job Titleが同じだから、同じ仕事とは限らないのです。

例えば、同じ「Marketing Manager」でも、複数の部下を管理し全米のMarketing Strategyを担う人と、特定地域のCampaign Executionを担当する人では、仕事の大きさは大きく異なります。それでも「Marketing Manager Salary New York」と検索すれば、一見もっともらしい数字が出てきます。

生成AIでも同じです。質問が曖昧なら、返ってくるBenchmarkも曖昧になります。

給与データは、手に入れることより、正しく読むことの方が難しい。

給与調査で重要なのは「どの市場のデータなのか」

給与Benchmarkingでは、単にSalary Dataを取得するだけでは不十分です。少なくとも、Industry(業界)、Geography(地域)、Organization Characteristics(企業規模など)、Job Content(実際の職務内容)といった条件を合わせて考える必要があります。

さらに重要なのが、その会社が実際にはどのTalent Marketで人材を採用しているのか、という視点です。

例えば在米日系企業で、日本語と英語の両方を使い、日本本社とのCommunicationが重要なHRやAccountingポジションを採用するとします。実際の候補者が、他の在米日系企業や日英バイリンガルポジションとの間を移動しているのであれば、在米日系企業の給与マーケットを見ることには意味があります。

一方で、同じ在米日系企業でも、Software Engineerを一般的な米国Technology Marketから採用しているのであれば、「日系企業だから、日系企業のデータを見る」だけでは、実際のTalent Marketを捉えられない可能性があります。

つまり、「正しい給与データ」であることと、「自社が使うべき給与データ」であることは同じではありません。どの市場の数字なのか。どのJobと比較しているのか。その数字を自社でどう解釈するのか。そこまで考えて、初めて給与データを意思決定に使うことができます。

従業員のデータが間違っていても、無視すればよいわけではない

従業員が持ってきた給与データが適切な比較ではなかったとしても、「そのデータは違います」だけで話を終わらせることは、以前より難しくなっています。

従業員本人は、自分なりに調べています。そして、「自分の給与は市場に対して適切なのか」「なぜ今年の昇給は3%なのか」「どうすればもっと給与が上がるのか」「なぜまだ昇格しないのか」という疑問を持つこと自体は自然です。

もちろん、すべての給与判断について詳細な法的説明義務があるという意味ではありません。しかし、会社側が「まあ、今年はこんな感じです」「頑張ったから3%上げます」「もっと頑張れば、そのうち上がります」としか説明できなければ、従業員は納得しにくくなっています。

給与についてのConversationを成立させるためには、会社側にも以前より準備が必要になっているのです。

Pay Transparencyは「採用時」だけの話ではない

この変化をさらに加速させているのがPay Transparencyです。米国では、州・自治体によって要件は異なるものの、Job Postingなどで給与Rangeを開示するルールが広がっています。

例えば求人広告に「$80,000 – $120,000」というSalary Rangeが表示されていれば、候補者から「私はこのRangeのどこからStartするのですか?」「何が違えば$80,000ではなく$100,000になるのですか?」「入社後は、どうすれば給与が上がるのですか?」「Range Maximumまで到達したら、その後はどうなるのですか?」という質問が出てくるのは自然です。

そして、この情報を見るのは求職者だけではありません。既存従業員も、自社のJob Postingを見ることができます。すると今度は、「自分はこのRangeのどこにいるのだろう?」「なぜ自分はMidpointより下なのだろう?」「どうすれば次の給与水準に進めるのだろう?」という疑問が生まれます。

つまりPay Transparencyは、単に採用時にSalary Rangeを掲載すれば終わる話ではありません。給与の決め方や、給与がどのように上がっていくのかを、既存社員を含めて説明できる仕組みの重要性も高めています。

Salary BudgetとIndividual Increaseは違う

こうした環境の中で、「2027年のSalary Budgetが3.5%だから、全員3.5%上げる」という考え方だけでは十分ではありません。

Salary Budgetは、会社全体として給与調整にどの程度の原資を確保するかという話です。一方、Individual Increaseは、その社員の給与を、なぜ、どの程度変えるのかという個別の意思決定です。

例えば、市場水準よりかなり低い社員と、すでに市場水準を上回っている社員に同じ3.5%を適用すれば、現在ある給与のズレはそのまま残ります。

Salary Budget ≠ Individual Increase

これからの昇給面談には「Evidence」が必要になる

これからの給与・昇給Communicationでは、単に「今年は3%です」と数字を伝えるだけではなく、なぜその数字なのかを説明する材料を会社側が持っていることが、より重要になります。

例えば、現在給与はMarketに対してどの位置にあるのか、Salary Rangeのどこにいるのか、Performanceはどうだったのか、同じLevelの社員とのInternal Equityはどうなのか、Responsibilitiesはどう変化したのか、Promotionには何が必要なのか、といった情報です。

こうしたEvidenceがあれば、「今年はこの理由でこの昇給です。そして、今後ここまで成長すれば、次の給与水準やLevelを目指せます」というConversationができます。

これは単に従業員を「説得する」ためではありません。会社と従業員が、同じ土台の上で給与について話せるようにするためです。

最初に確認すべきなのは「自社の現在地」

2027年の給与改定を考えるとき、最初の質問は「来年は何%昇給するか?」ではないのかもしれません。

その前に確認すべきなのは、「現在、自社の給与は、適切なTalent Marketに対してどの位置にあるのか?」です。

そして、そのために使われるのがMarket Pricing / Salary Benchmarkingです。

ただしMarket Pricingも、単にインターネットから給与額を検索する作業ではありません。どのIndustryを見るのか。どのGeographyを見るのか。どのTalent Marketを見るのか。どのJobと比較するのか。その数字を自社ではどう解釈するのか。

ここまで考えて、初めてMarket Dataを昇給や給与制度の意思決定に使うことができます。

NEXT|自社の給与は高い?安い?

次回のCompensation Universeでは、「自社の給与は高い?安い? – Market Pricing / Salary Surveyの基本」を取り上げます。

そもそも「市場給与」とは何なのか。どのような給与データがあるのか。そして、複数あるデータの中から、自社が見るべき数字をどう選べばよいのか。今回の「平均昇給率」から一歩進み、実際に自社の給与の現在地を確認する方法を整理します。

自社の給与水準を確認したい企業の方へ

HR NAVIでは、米国市場における個別ポジションの給与水準を確認する給与調査(Base Salary Benchmarking)を提供しています。

業界、地域、企業特性、実際のJob Responsibilitiesなどを踏まえてMarket Dataを確認し、必要に応じて在米日系企業のマーケットとの比較も行います。単に「このJobのMedianは○○ドルです」と数字を提示するだけではなく、「どの市場のデータなのか」「なぜそのJobと比較するのか」「その数字を自社ではどう解釈すべきなのか」まで含めて整理します。

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Kimihiro Ogusu(小楠 仁啓)

著者

Kimihiro Ogusu, SHRM-SCP | 小楠 仁啓

SolutionPort, Inc. 代表|中央大学特任講師

SolutionPort, Inc. 代表。Deloitte Consultingにおける米国ローカルのコンサルティング環境での実務経験を持ち、米国HR・組織コンサルタントとして活動。専門はTotal Rewards、Compensation、Job Architecture、Organization Design。
米国HRの上級資格SHRM-SCPを保有し、在米日系企業を中心に、給与ベンチマーキング、人事制度設計、Job Architecture、雇用実務を支援。中央大学でもHRに関する講義を担当し、MUFG BizBuddyでもHR関連記事を執筆。

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